向き不向きがあるだけ。何を見たいかで世界は変わる
みなさんこんばんは!
彩透ゆうりです。
本日はエッセイ風短編小説集「ひとりごと」をアップしました!その報告とメッセージの深掘り(いや、言い訳かな?笑)しまーす。
数字でつける優劣ってどうなのかしら
エッセイ風短編小説集「ひとりごと」
俺のひとりごと。向き不向きがあるだけで、できないイコール無能なはずがないだろう
まあタイトル通りな感じです。
以上です……ってわけにはいかないのですよね。はい。
最初にお断りしておくと、勉強頑張った&頑張ってる人を否定したいわけでは決してないです。その努力した時間は一生ものの価値を持つと思います。
僕が伝えたいのはですね、学力をその人の価値とイコールにするのはどうかというところ。
学校だと成績順位って出ますよね。会社でも営業成績とか売上貢献度とかあって、目に見える「優劣」ってどうしても出てくるじゃないですか。
あれなあ、どうなんだろうなあ。
と思うのです。
この疑問の核は「何かができるできないは、その人の向き不向きによる部分が多く、何かができないからといって、必然的に”劣”のレッテル貼りがちなのはどうなのだろう」です。
向いてないなあと感じることにチャレンジして「むむむ」な結果だったとしてもチャレンジしたことが立派。苦手意識のあるものに取り組んで自分ではそこそこの手応えだったとしてもそこそこまで到達できたのは努力の賜物。
全ては経験値になりあなたを豊かにする。全てが生きるチカラになる。そう想うのです。
無駄なことってないんだろうなって。
生きるチカラは自分で磨くこともできるけど、それは生き続けることで磨かれ続けると思うのだけれど、ときにひとのチカラを借りたくなるときないです?
僕はある、生きるの疲れたとき笑
まあこれも選択の自由なんですが、たまには頼ることもいいですよね。頼る選択肢を持つって言うのかな。ちなみに僕はハイパー頼り下手なので修行中の身だよ笑 抱えがちのみんな気をつけてねっ☆
ってなんの話なんだっけ(こらっ笑)
何を見たいかで世界は変わる。
そうそう学力が全てではないってお話。平たく言えば、客観的に見た頭の良し悪しがひとの価値を固定することはないってこと。
全てはあなた次第かも。自分の価値は自分で決めるとそれが雰囲気になって周りに伝わるの。だからね、自分はこうだと思う、こうしたい、っていう自分観をふわっとでもいいから想像してそうなろうって決めると本当にそうなるよ。嘘だと思ってやってみてね。
あのね、僕はこれで世界が180度変わった。言うなれば天国と地獄みたいな。
僕に優しい世界を生きたいなって想い続けたら、今そうなってる。
はたから見たら「フツーの世界」かもしれないけど、僕にとってはこわいくらい優しいのよね。ひとも環境も。
うん。だから大丈夫。
何を見たいかで、世界は変わるらしい。本当に。
と言うことで今回はこのような感じで。
またもふわふわした読後感なんだろうなあこれ。
まあいっか、楽しいから!(これ最近の口ぐせ笑)
それではお読みくださりありがとうございました。
この言葉に出逢ってくださったあなたに、素敵なことがたくさん舞い込みますように♪
ではまた〜( ´ ▽ ` )