出会いは自己理解の過程の一つ、かもしれない
ドライヤーの温い風に吹かれながら、ふと思い出される記憶。そんな過去の一点と、今現在を勝手に結んで線を繋ぎたがる感情。
私の感情は、私が思う以上にドライみたいだ。線を繋いで見えてきたのは、あの人とその人の違い。
「そっか。あの人、プライド高い人だったんだな」
他人同士を比較したところで、相手の何かが向上する訳ではない。それは分かってる。
ここで言いたいのは、人は無意識のうちに周囲の人同士の相対評価をしたり、周囲の人と自分自身を比較することで、自分という存在を理解しているのかもしれない。
あの人は甘えない。
言葉巧みで、優しい嘘が得意。
ふと本音を零しているようで、その実、本音の色した策略。心理的距離を縮めることを目的とした、空虚な自己開示。
こちらに求めるのは、受容。
手懐けられているという姿勢。
一方のその人は真逆だった。
人間くさくて、不器用。
こちらに求めるのは、抱擁。
全部受け止めてるよという姿勢。
あの人が最高だと思った。
でも違った。虚しいだけだった。
その人が最後だと思った。
でも違った。与えてばかりで終わった。
今の私には、理想ばかりがある。
あの人やその人に似ている人「ではない人」に出会いたい。
悲しいかな、ため息から学んだことが活きているのである。
いや、言い換えるべきかもしれない。
あの人にもその人にもありがとう。
出会えたお陰で、私と感性の相性が良い人物像が、より明確になったよ。
健やかな人間関係のヒントが得られたよ。自分の行動パターンや趣向がよく分かるようになったよ。
ありがとう。
出会うべくして、出会っていたんだね。
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