ココロのヨハクメーカーになりたいんだった。肩書きは何でもよいのだけど。
こんばんは!
彩透ゆうりです。
今回は前置きなしで書いていきますね。
そんな勢いです。
つい先日、ツイッターで
「なぜ書き始めたか」をつぶやいてる方がいたんです。
それを読んだ僕も考えました。
なぜ書き始めたのかを。
物語を「書く」という行為にのみ焦点をあてるなら、楽しいから。ひとりでできるし、頭の中のみんなを一瞬のビジョンでなく、言葉として話者としてそして人としてカタチにできるから。
ひとりで楽しんでいたものを、
人前に出すことを始めたのは、
触れてくださった人に心を緩めてほしかったから。大変な毎日のなかにこそ、心に余白ができる瞬間を。
そう。ココロのヨハクメーカーになりたかったんです。
斉藤ゆうりになりたての頃は、ツイッターのプロフにもそう書いていたような。いつのまにか忘れてました。初心って、すぐ忘れるものなんですね。
ちなみに「なりたて」というのは、
僕の感覚的に、物語を紡ぐ自分と素の自分は別人な感覚があるので、書くとき、というより創作スイッチ入った自分が「彩透ゆうり」で、そうでない時もある。そんなかんじです。
話を戻して「始まり」のお話し。
今は「心の余白」を120%意識しているわけではないし、書きたい世界観が定まってきたので「書きたいから書く」感情の方が強いですが、それでも、寄り添いたい気持ちはあって。
言葉が世界を創る。
頭の中でどんな言葉を紡ぐか。
それによって世界は変化ことも安定することも不変になることもある。
つまり言葉こそが世界をカタチ創る。
もちろん、言葉を操るその人自身の世界のみを。
であれば、言葉は大事で有形で世界の指針。
簡単に操れるけれど、軽くはない。
僕にとって言葉は大事で大好きで世界の全て。
そんな想いで書いています。
こういうのを所信表明って言うのかな。
それとも初心表明かな。
どちらも、いい音。
きっと明日も書いていく。
これからも、ずっと。
#初心 #書くこと #言葉の価値 #余白 #心