無価値観の変身。振り返って答え合わせする時あるよね。
こんにちは。
お久しぶりの投稿です。
最近はまあ、年末に向けてオン・オフ双方のイベント盛りだくさんで、小説やイラスト創作に励んでおりました。まったく、なんでこんなに忙しいんだ。計画性をどこに落としてきたんいい……自分!!
そんな自虐はさておき(冒頭からさておくな笑)、ふと思ったことを綴ります。タイトルの通りです。朝食を食べながら、ふと思ったんですよね。死生観について考えるの好きだなって。そしてそれは、子どもの頃から変わらないんだなって。
こちらがダイニング兼作業スペースのテーブルの上。お気に入りのポストカード等集めたら、こんな感じになりました↓
あの、乱雑さはご容赦いただいてですね。参照したいのは内容の方です。
お分かりいただけただろうか、この頭のネジ取れてるどころか、ネジを持って生まれてこなかった雰囲気を……我ながらやべえヤツって思います。今更ながら笑。
私が見ている世界観を要約するとこう。
時間で言ったら昼より深夜、明るさで例えたら太陽より三日月。色は断然白より漆黒。生死でいうなら後者に視線が行く。
うおおおおお厨二かよ!! いやもう一周回って卒業できずに中八くらいだよ!!!
って思うんですけどね。性分ってヤツです諦めです♪
振り返ると、小さい頃、それこそ低学年の頃から変なことばかり考えてたんですよね。
「人はなぜ人に包丁を突きつけないのか。切れる器具と力があって、それを調理にのみ使うのは人の何がそうさせているのか」
「家族って何だろう。家族はなぜ家族なのか、同じ場所にいるからか、それとも?」
「こんなにもたくさんの人が周りにいるのに、どうして他人なのだろう。知り合いと他人の境界線って何なのだろう」
「愛って何だ、好きってなんだ。何がそうさせるんだ」
「生きる意味って何だろう」
大人になった今でも、分かるようで理解しきれない。或いは経験を重ねる中で答えが更新されていくんです。私の中では。
もちろん子どもの頃は、これらの疑問を抱えていることは口外してませんでしたし、それでもふわふわはしてたので、周りには不思議ちゃん程度に思われていたことでしょう。疎外感から学ぶこともあるよね。
世界観の話に戻ると、私、儚さや有限を醸し出すものに強く惹かれるんです。
推しで例えると、セーラーサターン、渚カヲルくん、魘夢くん、花京院くん、真人くん……ご存命なのは真人くんだけかな……あ、大丈夫だヴィクトルがいる!
じゃなくて、一応補足すると散るから好きなのでなく好きになったら散ってしまった流れです。わしゃあ死神か笑
この辺りの価値観や視座が、小説に反映されていたりして。「愛情の記憶」の主人公パトリックは花の儚さを愛でて(その花は他の存在ともリンクする)、「門番」だと生きているということの定義を問うし(≒生きる意志の有無)、オオカミの涙は家族と復讐(作者的には正義)、ディストーションは真実と事実の乖離と向き合い方が裏テーマで……ゆうりくん、明るい話はないのかえ?笑
明るい話はBL界隈の皆々様に頑張っていただいてですね。はい。深夜のテンションと脳内御花畑のノリが共存しているので、どちらにハンドルきるかの問題ですな。そうですな(?)
強引ながらも話をまとめると、自分でも何故そのようなことをするのか分からず、意味のないことをしているのではないかと、無価値観を抱えていたとしても、それはいずれタイミングが来たら、有価値観に変身を遂げる。
疑問や想いや信条や目標、それらがあってもなくても、それらに結果が出ても出なくても、いつか何かしらの形で返信が来るのだと思う。
あの時のあれはね。実はね。
それがきっと、見えなかったものが見えるようになった合図だと思う。あなたの変身。
さあて。こんな感じです。これからパトリックになってバリバリ書かなきゃ。彼はお上品だからお紅茶でもお淹れしておクラシックでもお聞きしながらお作業を……くどいっ笑
執筆中のこちらは10月末開催のweb配信企画ペーパーウェルさんやオンラインイベントのドットテキストさんで配布予定。あとはそこ文さんかな(未定)
サイドストーリーとうたいつつ、結構文章量あって内容も濃いめ。大学生パトちゃん♪ 彼の過去が垣間見えたりしちゃうやつ。本編=エイト編に比べるとゆるふわ感低め。たぶん。
と、いうことで、ここまでお読みくださりありがとうございました!
また次回お会いしましょう〜どなたさまも穏やかな日々を過ごされますように。
小説「愛情の記憶」リンク