愛することの本質って、意外と自分本位。
創作意欲が低迷したときは、自分の言葉を読み返して、何を伝えたかったんだっけなって、思い出す時間にあてたりするんですよね。
久しぶりにエフを読んで、木崎くんの優しさ好きだなと。
共に重ねた思い出は絆になる。そこから無意識のうちに生まれる期待、「君ならきっとこう思うよね」は、ときに諸刃の剣。相手を理解したいのか、理解の答え合わせをしたいのか。
木崎くんはその難題に向き合った人です。そして残酷な答えも、受け止めた人です。
たとえどれほど愛していても、自分の理解を超えることは理解できないから、超えた余剰分が期待に変わっていくのでしょう。
だから実際、等身大のあなたを愛することはできなくて、私の知る範囲内のあなたを愛しているに過ぎないのかなって。
それは家族でもパートナーでも友人でもそう。ある意味で「私の知るあなたでいてくれる安心感」がある。余白の妙味。
うまくまとまらないけれど、愛するって、意外と自分本位なのかもしれません。そしてそれは心地よいのかもしれません。愛したくて愛しているなら。
#愛
#言葉