言葉に込めた想い、その全て

言葉にして残したいことを、マイペースにまとめていきます。どうぞお手柔らかに。

愛があれば人は狂うし呪うし全て許せるようになる

2022年に入ってから、気になる新作映画がたくさんあって、金曜夜になるとうずうずしちゃうんです。今度は何観ようかなって。

 

例を挙げると

『ハウス・オブ・グッチ』

『呪術廻戦ゼロ』

ナイル殺人事件

 

いやジャンルに統一感ないしおどろおどろしいの好きなんかい(精神状態は)大丈夫かい?と思ったあなたさま、正解です(へ?笑)

 

冗談はさておき、私はこの三作品に共通点を見出していて。

それは「愛は全てを許す。愛があれば全てが許される」です。

少し深掘りして、意味するところの解像度を上げていきますね。

 

(以下、各作品ややネタバレを含みます)

 

まず、「ハウス・オブ・グッチ」の感想は

愛で始まり、愛が終わらせた物語。

 

こちらはグッチ一族のお家騒動をテーマにしたフィクション。

主人公は、グッチ家の若き御曹司と恋に落ちたイタリアンガール、パトリシア。二人は愛し愛され自然な流れで結婚し、気づけばそこある満たされた日々。内気で素朴な彼と、明るく前向きな彼女。お互いの個性がお互いを支えていたはずなのに、パトリシアがブランドの経営や将来性、つまり富や一族のアイデンティティに身を乗り出し始めた途端に狂い始める歯車。

 

良かれと思って言ったのに。あなたのためにやったのに。

 

離婚、裏切り、転落。良くも悪くも欲望に忠実な人間らしさが描かれているというか、愛に素直に突き動かされている姿が見ていて清々しいというか。

 

家族愛、ブランド愛、性愛、仕事愛。みんな一途ですね。一方で、単純に言って「過去の栄光」に縛られている長老たちの姿も可愛らしい。人の心もトレンドも変わりゆくものだよと言われていた気がしてなりません。

 

そうやって変わっていくから、変わらないことの安心感が欲しいのでしょうか。それが家族愛、ブランド愛、性愛、仕事愛に変換されるのでしょうか。奥深いですね。

 

愛があれば、人は狂える。側から見たら狂気の沙汰でも、本人にとっては唯一の手段。愛しているから、あなたのために、私があなたにしたいことを、していい。

 

長くなりましたが、個人的見解でした。やはり老舗ブティックの世界だけあって、映像美と言いましょうか、上質な空間(&音楽)も見ていて心地よかったです。

 

*****

 

はい。次は『呪術廻戦ゼロ』

これは全く見る予定になかったのですが(いきなりごめんなさい!!)、予告編を見て即効上映スケジュール確認するくらい、沁みる言葉が満載で。

 

よろしければ予告編どうぞ。開始十秒経たずに惹きつけられるし、五条先生の「これは持論だけどね」から始まるセリフでもうノックアウト。

 

「わかりみが深いっっっっっっっっ!!!(語彙力壊滅!!!!)」

 

ってなる(いや普通の人はならんかもしれない笑)

これは泣いた。泣く予定はなかった。

 

先程の言葉の続きは

「愛ほど歪んだ呪いはないよ」

 

先生は仙人なんじゃないだろか。たとえどんなに澄んだ愛でも、確かにそれが起点だったとしても、何かの拍子で粘度が高まりドロドロになることがある。愛は黒魔法にも白魔法にもなるんじゃないかな。当人の心持ち次第で。

 

ちょっと前段長くなりましたがあらすじ書きます。

主人公は、みんな大好き(?)乙骨憂太くん。幼い頃に幼馴染の里香ちゃんを交通事故で亡くし生き別れた、はずだった。彼女は呪いへと姿を変えて、終始乙骨くんのそばに。彼を守りたい一心で、外敵から守り通そうとする里香ちゃん。一方で誰も傷つけたくないと自死を願う乙骨くん。

 

そんな彼を「呪いを払う」ことを学ぶ呪術高専の教師・五条先生が迎え入れ、同級生三人と共に過ごすことに。衝突することもあるけれど、人を見、人と触れ合うことで自分のやりたいことが明瞭化。里香ちゃんの呪いを解くことを決意するのです。

 

そのあとはもう、能力成長、自尊心回復、学友との絆マシマシ。絶好調やないか。と思いきや、夏油(げとう)とか言うめちゃんこ強くてヤバいやつに目をつけられちゃう乙骨くん(言い方笑)

 

負けそう・・・ってなった時の切り札がもう泣ける。

「やっぱそうだよこの世は愛だよな!!!(語彙力殲滅!!)」

ってなる。(いや普通の人はならな以下省略)

 

揶揄されて放つ「失礼だな。純愛だよ」のセリフで無事に涙腺解放ダム決壊。

側から見たら滑稽でも二人だから分かり合えること、見えていることって、あるよなあって。重ねた時間が絆になるから、そばにいなくても、姿が見えずとも繋がっていると、この先もそうだろうなと、自然に思える。

 

ある意味で愛は呪いかもしれない。対象が人でも物でも現象でも、

君のこと、ずっと好きでいるよっていう、自分にかける呪い。

 

聞こえが悪いなら、願いや魔法に言い換えてもいいかもしれない。

愛という無機質可変のものを、一単語で表現するなど難しくて。

人の数、カップルの数に同じ愛の意味があってもいいんじゃないかな。

 

まとめると、乙骨くんらぶ(要約荒すぎ笑)

 

 

*****

 

そしてナイル殺人事件

これはわかりやすく愛がテーマかもしれない。何を隠そう、「love」という単語を劇中に何回聞いたことか。

 

深堀の前にあらすじが必要なので、早速。

情熱の人、ジャクリーン。最愛の人と婚約したはいいものの、彼は職探し中。幸せな未来に向けて良き仕事を紹介してもらうべく、親友の大富豪リネットに彼を引き合わせることに。しかしあろうことか、彼とリネットが結婚。失意の底で、執拗なまでに二人を追い回すジャクリーン。それはエジプトへのハネムーンも例外ではなかった。

結婚式に招待された面々を乗せ、ナイル川へと出向するクルーズ船。気づけば連続殺人事件の舞台へと化していた。皆それぞれ動機があり、暴かれる確執、止まらない衝突。新婚夫婦の幸せを血で赤く染めた犯人は誰なのか……。

 

これはシビレました。犯人を推測しながら観ていたのですが、結末を知り「そういうことだったのかーっ!!」と。最初から何も変わっちゃいなかったのかと。事実を見た「つもり」でいた、思い込みの強さを痛感。それを見事に演じ切っている俳優さんたちに脱帽。

 

もう最後のシーンは息するのを忘れてました。衝撃で。

もちろんフィクションであると理解して観ましたが、登場人物たちの心模様がリアルで。現代にも通じる、ということは人類普遍の真理/心理を突いた作品を残したアガサ・クリスティー氏、天才以外の何者でもないな?てなる(ほんとなる)。

 

大富豪リネットが拭えぬ疑い 「あなたが見ているのは私じゃなく私の条件。それは本当に、愛なの?」

ジャクリーンが貫く意志 「彼は今でも私を愛してる。私にはわかるの」

ポワロの親友ブークの希望 「君がいれば僕は幸せ。たとえ世界が否定しようとも」

ポワロが引きずる過去の後悔 「あの時、もし……」

 

大人向け映画といいますか、恋愛に限らずさまざまな経験を乗り越えてきた大人には特に強く刺さるものがあるように思います。

 

優しい人、包容力のあるひと、大抵のことは許してくれるひと。そういう方々は、山あり谷あり人生を歩んできた傾向がある気がします。

困難を美化したいわけではなくて。山の上、谷の底で経験したことから高い理解力を得て、かつ「君はきっとこう思うだろう」と想像力が柔軟に働く。許容範囲が広いのは、見聞きしてきたものの高低差や幅が広いから。たぶん。

 

思考傾向や言動には、その人の過去全てが反映されている。その人の中にある何かがそうさせているから、こちらの基準・見解で無下にすることなどできない。その人が大切にしている何かを、傷つけるかもしれないから。

 

っとまあ色々御託を並べてみましたが、気にしすぎて何も言えず何も始まらずに終わるのも悲しいので、何事もバランス大事!!

 

 

はい。ということで、愛について語ってみました。

奥深くて語り尽くせないです。はい。

 

毒にも薬にもなる。理由にも言い訳にもなる。

盲目的になりすぎてもよくないし、放置しすぎては風化してしまう。

やはり、バランス大事。片方の、というより、二人でバランスを取っていく。

そのバランス感覚は時々アプデ&再共有しないとボタンの掛け違いが発生する。全ては変わりゆくもんね。たとえ変わらぬように見えても。

 

子どもやパピーの成長は、身近な人より接触頻度の低い人の方が顕著に見えたりしますよね。親が子どもを見て「こんなに大きくなって〜!」と気づけるのは、写真や動画などを見て振り返るタイミングで、たとえ日々成長していてもその一歩は見えにくい。変化の過程を全て見てるから。逆説的?

 

それは愛も同じ。たぶんね。

振り返ったとき、「こんなに立派になって〜!」と自然と感嘆する未来が、あなたさまのそばにありますように。

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。