知ることは、孤立をなくすんじゃないかな
こんにちは。
ゆうりです。
ふと思ったんです。
知ることで、思考の柔軟性が増して、そういうこともあるんだなって、受け止められるようになる。
その先で、孤立がなくなっていくんじゃないかな。
知ること。
それは自己啓発書や授業の中にあるものだけでなく、人との関わりや、物事の仕組みや流れに実際に触れて得られる「感覚的な知識」も大いに役立つ。むしろそちらの方が実利的かもしれない。痛い思いや苦い経験も、きっと知恵。
少し話はそれますが、実体験をすると、似たような体験をしている他者を見た時に「こう感じているんじゃないかな」や「今はそっとしておいて欲しいだろうな」、あるいは「こちらはこう動くべきかな」なんて、相手の気持ちを想像しやすくなると思うのです。
経験を経て想像力が増した結果、思いやりや共感、適切な距離感での寄り添いができるんじゃないかなって。
・・・では話を戻して。
知恵や経験が教えてくれるのは、普通や常識というものは星の数ほどあるってこと。つまり、ひとつじゃないってこと。「海外では家の中でも靴を履いて過ごすのが普通、日本では玄関で靴を脱ぐのがマナー」など、異文化間のことをイメージすると伝わりやすいでしょうか。
上記は極端な例かもしれませんが、例えば犬好きのAさんと爬虫類好きのBさんは、可愛いの基準は同じなのかな。食通のCさんと美容マニアのDさんは、何に価値を感じるかの意見が完全合致するのかな。歴史研究家と最先端技術の開発者は、どの時間軸に最もそそられるのだろう。・・・・ね?
だから、自分は普通じゃないからだめという理由で社会と距離を置く必要はないし、何か一つがありえないからと誰かを問答無用で拒絶することもない気がします(危害の恐れありなら即刻さよなら必須ですけどね)。
そんな心地でいたら、アンテナの受信範囲が広域化して、人との繋がりができやすくなったり、新たに興味を惹かれるようなアイテムを拾いやすくなる。多様性を認めることは、自身に多様性をもたらしてくれる。
多様性。若干陳腐に聞こえるかもしれませんが、大事だと思います。ジャッジしない=否定しないことでマインドがオープンになり、何からでも何かを吸収できるんじゃないかなって。言葉でも価値観でも、あなたが良いと思うものは何でも。たくさんの価値基準に触れることで、今までの自分の基準に広がりができていき、自由度が上がる。
・・・なんと自分勝手な、と思われるかもしれませんが、原動力ってそのあたりに潜んでいるんじゃないのかな。たまには自己都合優先でもいいと思うのですよ、人生という大枠の中では(大人の配慮は添えつつ)。
はい。こんな感じで、ふと思ったことを書き残しておきます( ´ ▽ ` )