いつでも逢えるから
お久しぶりでございます!彩透ゆうりです。
2021年最初の記事ですね、いつも通りに書きます(ん?笑)
本日ノベルデイズさんにてBaby, Tell Me You Love Me.のサイドストーリー を追加しました。本編は完結しているのですが、美良くんと輝台さんに逢いたくて逢ってきました。はい。
僕は、僕の世界(物語)に登場する人々に「逢う」と言う表現を好んで使います。と言うのも、そのような感覚でいるから。「書く」より「逢う」がしっくりくるのです。
僕オリジナルなのか、他の作者様も同じなのかはわかりませんが、僕は執筆の際に人物達と距離感を詰めるんです。物語を書き始めた頃からほぼ無意識にやっています。
チェスや将棋を指すように全体図を俯瞰しながらそれぞれの人物(ゲームでいうところの駒)を目的地へと進めていく、と言うより、僕がその人になる。その人の視線で世界を、相手を見たら、どんな言葉を紡ぐかな。そんなことに考えを巡らせていたりします。
そして、彼らの感情が僕にうつる。僕が悲しいからみんなも悲しいのか、みんなが嬉しいから僕も嬉しいのか、どちらが発端なのかはいまだに不明ですが、結構感情が動いてく執筆過程。だからみんながときめくときはほんとにときめいてると思う(変態だなあ、知ってたけど笑)
だからね、感情が動くと言うことは、全てが事実として情報処理される感覚なのです。もちろん理性ではフィクションと分かっているのですが、どこかで、それを否定する僕がいる。ますます変態だなあ笑
さらに変なことを言うようですが、上記のこれらが起こるのはおそらくそういう星のもとに生まれたのと、持って生まれたエンパス体質、そしてこれまでの経験が混ぜ合わさってトータルで行われているのだと思います。
自他の境界線が薄い星、外界の感情を共感を持って自分ごとに捉えるエンパス、そして磨いてきた想像力。希望と現実の間に落ちた時に、それが僕を救ってくれたよ。自分を感じたくない時に、彼らに逢いに行けば、僕は僕のまま僕でなくなるからね。
はたから見たら現実逃避と言われるだろうけど、それでもいい。たまたまこれが、僕の延命法だった、ただそれだけ。
この世界にはきっと良し悪しはない。一方から見れば良し、他方から見れば悪し、また別の角度から見たらどちらでもなく関心もない。世界はきっとそういうものであふれてる。
だからたぶん、全て自分の匙加減で世界は動く。自分が我慢すべきと思うことも、相手にしてみたら自由にしたらいいのにって思うかもしれない。自分が譲るべきと思うことも、相手にしてみたらどちらでもいいのにって思うかもしれない。自分が遠慮すべきと思うことも、相手にしてみたらどんどんきて欲しいのにって思うかもしれない。
想像力豊かな人は、率先して相手の気持ちを無意識的に推測し先回りして行動する傾向にあるから、相手が存在する全ての判断において遠慮する傾向にあるけれど、それも実は自分で自分に課した制限。遠慮の定義や定規は、人によって違う。そう思わない?
・・・って何を書いていたんだっけな? まあトータルしてBTYL読んでくださいって話です(嘘つけやいっ笑)
僕はたまに書きながら迷子になるのですが、もしよろしければ今後もお付き合いいただけると嬉しいです。
では、こんな感じで。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
皆様に素敵なことがたくさん舞い降りますように。