どう生きてもいい自由に生きろ。ただ自分がどんな人だと思いたいのか、それだけは明確にしろ【自分宛】
人と自分を一切比較しない、なんて、割と難しい。
人は人、自分は自分。
そう割り切れたら楽だろうけど、なかなかどうしてそう上手くいかない。
恐らく拭えぬ悪癖なのだろう。
比較し、相対的な立ち位置を割り出すことが。
自己評価を下げたい訳でも、世間一般の平均点を取りたい訳でもない。
ただ単純に、分析方法のデフォルトがそうなっている。それだけだ。
だから「標準」の威力が半端ない。
この年齢になれば、大概こういう環境下にある人が多い、という標準の存在。
結婚、出世、収入、贅沢のレベル。挙げたらキリがない。
そこに息苦しさを感じるのは自分だけだろうか。
外れているから生じる羨望だろうか。いや、言葉が上品すぎた、やっかみだろうか。
どう生きてもいい自由に生きろ。ただ
自分をどんな人だと思いたいのか、それだけは明確にしろ。
それが行動基準になり今後を作る。
残念な人じゃない、大事な人だ。
妬むだけの人じゃない、行動が伴う人だ。
未来永劫悲嘆に暮れる人じゃない、変わりたいと願えば変われる人だ。
そう思うから、書き残してみた。
過去は変えられない。
変えられるのは今。
今が今後を作る起点。
そうでしょう。
これを読み返している未来の自分へ。