言葉に込めた想い、その全て

言葉にして残したいことを、マイペースにまとめていきます。どうぞお手柔らかに。

気分を尊重する暮らしぶり、いいかも

何もかも、目の前にあるもの全てに手間と時間をかけじっくり対応する。

そういった常時丁寧な暮らしが唯一絶対の豊かな暮らしではなく、その時々のシチュエーションや気分に合わせて選び取れる選択肢を持てることが、実生活に即した豊かさなんじゃないかな。

 

飲酒一つ取っても、バーで哀愁醸しながら過去を笑い飛ばしたい気持ちのときもあれば、缶酎ハイ片手に「あの上司よおおおおっ」って気ままにこぼす宅飲み気分の時もある。

 

栄養満点の食事と共に、ストレッチやエクササイズなどして体調整える余裕を持てるのが一番。でも、サクッと簡単に食べてとにかく睡眠時間を確保したい生活感あふれる自分もいる。両方あって、バランスが取れている気もする。自分に磨きをかける波と、マイペースを忘れない波を交互に乗り越えて。

 

時間や自分を整えれば心も整うのだろうか。

心整うから、周りも収まるんじゃなかろうか。

心整うには、無理して丁寧にする必要はなくて。

 

気分に合わせて生活する。

意外と大切かもしれない。

 

そんな、ひとりごと。

気が滅入った時いのいちばんに手を伸ばす解消法が癒し効果最大にして最高に気分の上がる趣味だ

そう思いませんか。

 

歌うこと、絵を描くこと、音楽を聴くこと、アニメを見ること、特定の場所に赴くこと。食べる、呑む、寝る、話す。なんでもいいんです。

 

とある物事に対して失望したり、仕事でミスしたり、フラレたり、つまらないことでクヨクヨしたり、なんだか虫の居所が悪い自分に気づいてそれすら怒りを助長する時。様々なシーンで、日々、気分転換が必要になることがあると思うんです。

 

そんな時、一番最初に名が挙がる気分転換方法。それこそ癒し効果最大にして最高に気分の上がる趣味だと思うんです。趣味ではないと思う方は、術(すべ)ですね。

 

ありがたいことですよね。きっかけはイライラでも、それに専念すると言うことは何かしらプラスに働くわけで。

 

例えば食べることなら、新しいレシピを習得したり新しいお店を開拓できるかもしれない。歌うことなら歌唱力が上がるだろうし、執筆なら味わった感情の分だけ表現の幅が広がる可能性がある。話したら話しただけ伝える力が磨かれ、散歩なら脚力や周囲の観察力が上がりそう。

 

悩みの種や溜息の数、心の傷は少ない方がいいけれど、そこから如何に回復するかその術を知ること、言い換えれば疲れを無視せずキャッチする感度と自身の気分バランスの取り方を知っておいてあげること大切。そう思うのです。

 

そんな私の趣味の一つはイラストを描くこと。

上達したと思いませんか。

 

本日2022.7.7

 

2020.12.27時点



悩みは人生の良いスパイス、なんて言うつもりはありません。なだらかな道が好きです。でも、もし出くわしたら、もっと楽しもう。

 

 

人生に立ち向かう大人が得るチカラ

人生って、何故、なんで、どうして、の連続だと思う。

 

何故あの時諦めたんだろう
何で好きになったんだろう
どうしてこれをしているのだろう

 

これらの疑問と折り合いをつけていく過程が、大人になるということだと思う。言うなれば、理由などなくても進むしかないと、励ますチカラが、きっと必要なのだろう。

 

 

大人は偉い。

責任感は永遠の友。

 

大人は強い。

諦めの悪さを味方につけている。

 

大人は優しい。

自分を許してあげられる。

 

大人は繊細。

顔で笑って心で泣ける。

 

 

だから、励ますチカラが、きっと大切。

自分で自分を、そっと。

 

 

#人生

#大人

#ご自愛ください

 

状況や伝えたい熱量に合わせて言葉を選択できる知性

尊敬する人。

その理由は様々ありますが、私には「言葉選びが的確で、柔軟な方」が入るんです。

 

何故かと言うと、コミュニケーションする際、状況や相手、及び相手と共有している「前提」を考慮して進め、同時にどの程度の熱量を乗せたいかを言葉で調整している姿が知性の塊みたいな人だなって。尊敬するんですよね。それは憧れにも似て。

 

例えば。

親しい間柄なら、「あれ、これ。あのとき、それが」のように言葉を省略してもいい。あれこれの中身や背景を共有しているから。

 

一方で、

間違いなく伝えたい場面ではより具体的かつシンプルに。

 

肯定一つ取っても、

見えている結果が良いのか、過程を評価しているのか、取組み方を褒め伸ばしたいのか、全肯定し期待をかけるのかなど、共有したい感覚・意図を的確に捉える言葉選びをしている気がする。

 

「結構です」で終わらせるか、「これからも期待しています」を付け加えるかで受け取る気持ちが違う気がする。

即効性の強い元気ドリンクも良いけれど、長く効くサプリはより魅力的。個人的には。

 

 

言葉は自由なので、特定の事実に対し、褒める、貶す、励ます、共感する、無視する、保留する、何をしてもいい。そこに法規制はない。

 

だからこそ、如何に扱うかでその人が分かる。

自由な中で何を選び優先するのか。それはきっと、話者の知性と優しさが決めること。

 

 

#言葉選び

#尊敬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会いは自己理解の過程の一つ、かもしれない

ドライヤーの温い風に吹かれながら、ふと思い出される記憶。そんな過去の一点と、今現在を勝手に結んで線を繋ぎたがる感情。

 

私の感情は、私が思う以上にドライみたいだ。線を繋いで見えてきたのは、あの人とその人の違い。

 

「そっか。あの人、プライド高い人だったんだな」

 

他人同士を比較したところで、相手の何かが向上する訳ではない。それは分かってる。

 

ここで言いたいのは、人は無意識のうちに周囲の人同士の相対評価をしたり、周囲の人と自分自身を比較することで、自分という存在を理解しているのかもしれない。

 

あの人は甘えない。

言葉巧みで、優しい嘘が得意。

ふと本音を零しているようで、その実、本音の色した策略。心理的距離を縮めることを目的とした、空虚な自己開示。

 

こちらに求めるのは、受容。

手懐けられているという姿勢。

 

 

一方のその人は真逆だった。

人間くさくて、不器用。

こちらに求めるのは、抱擁。

全部受け止めてるよという姿勢。

 

 

あの人が最高だと思った。

でも違った。虚しいだけだった。

 

その人が最後だと思った。

でも違った。与えてばかりで終わった。

 

 

今の私には、理想ばかりがある。

あの人やその人に似ている人「ではない人」に出会いたい。

 

悲しいかな、ため息から学んだことが活きているのである。

 

いや、言い換えるべきかもしれない。

あの人にもその人にもありがとう。

 

出会えたお陰で、私と感性の相性が良い人物像が、より明確になったよ。

 

健やかな人間関係のヒントが得られたよ。自分の行動パターンや趣向がよく分かるようになったよ。

 

ありがとう。

出会うべくして、出会っていたんだね。

 

 

#自己理解

#ご縁

#出会い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついつい頑張り過ぎちゃう性質と、気が利く才能の関係性

気が利く人、細部にまで目が行き届く人。

そういう性質をお持ちの方々は、ついつい頑張り過ぎちゃう優しい人に多い気がしています。

 

性格的には、真面目で、自分が対応すべきものは責任を持って完遂したいタイプ。頼るのが苦手、というよりも、頼ることイコール相手の負担を増やす迷惑行為と意味付けしがち。

 

だから一人で踏ん張れる。気高いその人は、諦めずに頑張れる。

 

気が利くのは、考慮する時間軸と、視野に入れる影響範囲が広いからです。目先のことのみならず、経緯や今後の流れ、それも自身だけでなく関わる人々も含めて全体を捉え、行動していけるからです。

 

細部にまで目が行き届くのは、手落ちがないよう手堅く進行する姿勢が盤石だからです。責任感の強さ故です。気配り上手とも言います。

 

これを当たり前のことと思ったら、気が利く証拠です。いつもやってるけど、と疑念が湧いたら、それもまた気が利く証拠です。

 

常に先読みができるから、相手の望むサポートやその場に適切な態度の推測を自然とやっているのではないでしょうか。読み過ぎて、逆に疲れてしまうこともあるでしょう。きっとバランスが大切なのですね。

 

こんなにも周囲に優しさを向けられるのなら、ご自身に向けられないはずはありません。

 

優しさの配分バランス、いかがでしょうか。

どうぞご無理のないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう生きてもいい自由に生きろ。ただ自分がどんな人だと思いたいのか、それだけは明確にしろ【自分宛】

人と自分を一切比較しない、なんて、割と難しい。

人は人、自分は自分。

そう割り切れたら楽だろうけど、なかなかどうしてそう上手くいかない。

 

恐らく拭えぬ悪癖なのだろう。

比較し、相対的な立ち位置を割り出すことが。

 

自己評価を下げたい訳でも、世間一般の平均点を取りたい訳でもない。

ただ単純に、分析方法のデフォルトがそうなっている。それだけだ。

 

だから「標準」の威力が半端ない。

この年齢になれば、大概こういう環境下にある人が多い、という標準の存在。

結婚、出世、収入、贅沢のレベル。挙げたらキリがない。

 

 

そこに息苦しさを感じるのは自分だけだろうか。

外れているから生じる羨望だろうか。いや、言葉が上品すぎた、やっかみだろうか。

 

どう生きてもいい自由に生きろ。ただ

自分をどんな人だと思いたいのか、それだけは明確にしろ。

それが行動基準になり今後を作る。

残念な人じゃない、大事な人だ。

妬むだけの人じゃない、行動が伴う人だ。

未来永劫悲嘆に暮れる人じゃない、変わりたいと願えば変われる人だ。

 

そう思うから、書き残してみた。

 

過去は変えられない。

変えられるのは今。

今が今後を作る起点。

 

そうでしょう。

これを読み返している未来の自分へ。